Funny Walking

人の個性への好奇心

他人を攻撃する人は、その人そのものが悪いのか?

とりあえず人を非難して、攻撃的になり、挑発し、信者を作り、信者を煽る人がいる。

自分としては何でそんなことをするのか目的が分からない。

過去に裏切られた経験があるとか、人格否定をされたとか、自分の意見をムリヤリ通して人のモノを奪わないと生きていけないと教育されてきたとか。

考えられるのはそんなところだ。

四柱推命でいうと、自分の性格は「我が道を行く」というより「我が道に住む」というタイプらしい。確かにそうで、積極的に他人の邪魔をしたり煽ったりするタイプじゃない(その代わり、相手に合わせるのも苦手なので課題だなと思っている)。

いじめっ子しかり、犯罪者しかり、嫌な上司しかり、「その人が消えていなくなれば問題が解決する」的なポジションの人って一定数いるけれど、実際そのポジションの人がいなくなっても問題は解決しない。嫌な人に抑えられていた人が新たに嫌な人に昇格するとか、敵がいないと安定しないほど不健全な組織なので、敢えて敵を作らないとやっていけないとか、そんな感じで組織はつねに問題を抱えながら健全と不健全の間を行ったり来たりすることが多い気がする。で、それこそが、動物である我々が作る組織の真に健全な姿なのではないかなと。つねに流動的で、不安定で、動くことを止めない。人間は動物なのだから、生きてる限り変わることが自然だ。変わらなければそれは死んだ組織なのだ。

そんなわけで、他人を攻撃する人も、誰か他の人からの影響を受けてそうなった可能性が高い。その人そのものが悪だという事は稀なんじゃないかとさえ思っている。

たしかに、文化が違い過ぎてその人の背景を理解することが非常に困難な場合は、「悪」だと認定して切り捨てれば楽だ。対立構造が生まれるから、組織はとても安定する。多様性が最近とみに叫ばれているのは、多様性を組織が崩壊しないように受容することがとても難しいからなのだと思う。簡単にできることなら、誰も声を上げて真剣に取り組まないだろう。

なんだか高みの見物を決め込んでいるような文章だが、じっさい自分が他人にネガティブな感情をぶつけられたり、理由も分からず攻撃されたりすればキレるし反撃すると思う。

ただし、「敵を倒せば組織の問題は全て解決する」だとか、「このやり方をしさえすれば万事解決する」といった「臭い物に蓋」的な問題解決策が、生きる上で通用しづらいことも、歳を重ねるにしたがって段々と分かりつつある

漫画『鋼の錬金術師』に、「全は一、一は全」という台詞があったことを思い出す。大事なのは、ものごとの繋がりを意識することなのかも知れない。