Funny Walking

人の個性への好奇心

「怒る」ことの有効性について

怒りは不完全な感情だろうか?怒ることは不完全で、稚拙な人間だと思われはしないだろうか?

いや、怒ることにはパワーがある。怒りを上手に使うと、理不尽への反発力を爆発的に高めることができる。

通常であれば面倒くささが先行して中々実行に踏み切れないことも、信じられないほどの実行力をもって行動できる。

以前、とある仕事で、不毛な伝言ゲームになっていて正しい情報がこちらに伝わらないケースがあった。頭では危険性に気づいていても問題が起こる前に対処するのが難しく、起こってから初めて対処が検討されるケースの典型だ。信頼関係が構築されていないチームで良く起こる問題である。

案の定、問題が起きた。リリースまで完成していた機能が丸ごと不要となってしまった。

自分は怒りを覚えた。伝言ゲームをやめたいので、担当者同士で直接やりとりしたいと申し出た。しかし契約の関係で、仲介者を通さない情報伝達が禁止されてることを知った。残念ながらこれで終わりかと思ったが、それでも問題が繰り返される可能性の高い状態を看過できない。理不尽さを抱えたまま、仕事をしても生産的ではない。心のトゲを抜く必要がある。

ではどうするかというと、理不尽さを解消するために頭に負荷を掛けて改善提案を考えることにした。こんな感じである。

  1. 情報伝達を可視化する仕組みを作る。
  2. より上流の工程から参加させてもらう。
  3. 意思決定の場に、「担当者、自分、禁止を自分に言い渡した人」を呼び、契約違反とならない状態で情報伝達を行う。

1は、問題を捉えていない。2は、なんだか良さそうだが曖昧である。3は、理想となる状態が具体的だが実現性に乏しい。 というわけで最終的に、「2の場に、3の状態で参加させてもらい、その理由は1を実現するためだ」と言うことにした

情報共有のために資料を作り、普段は特別目立った発言をしない朝会の場で敢えて発言し、参加者全員に「自分が今の状況について問題点を感じていることがある」と認識を持ってもらい、その後、禁止と言った人と1対1で話した。結果、その場では承認は得られなかったが、話した内容を議事録に取り、翌日の朝会の場で共有し、かかる情報共有の改善によってビジネスの対応スピードを上げられるのではないかという問題提起を行うに留まって収束した。

ここまでやった結果、心のトゲが抜けたというか、気にならなくなった感覚があった

結果如何に関わらず、とりあえず理不尽さを感じたら怒りに任せて頭をフル回転させ、言語化し、体裁を整えて相手に伝え、フィードバックをもらう。これが良いやり方だと感じた。怒らなければ、とても面倒くさくて出来なかったことだろう。情報収集のために普段は関わりのない相手と喋らなければならないし、情報収集のために交渉術のようなものも駆使する必要がある。

もし怒りをアウトプットしなかったら、心のトゲに火が付いて燻ぶり、やがて大きな炎になり、心を焼き尽くしたことだろう。居酒屋で愚痴を吐くだけでも構わないので、怒りは放出したほうが良いと思う。

結論としては、「怒りは行動の原動力となるし、逆に行動しなければ負の感情が増大して自分も他人も傷つける。怒りを感じたら行動を起こすときだと捉え、建設的に対応してゆこう」ということだ。怒りは閉塞的な状況を突破するための原動力となる。無理に閉じ込めることはない。その怒りが突破力につながるのだと自分は考えている。